がん

一人一人の身体の構造は違う

 

普段の生活ではほとんど意識することはありませんが、一人一人の身体の構造は違います。この事実を忘れたまま生活していると、様々な不都合が生じる可能性が高いので注意が必要です。

 

一人一人の身体の構造が違うということは、一人一人の「正しい身体の構造」も違うということです。例えば、35度が平熱の人もいれば、37度が平熱の人もいます。体温が36度の場合、前者の人にとっては高熱ですが、後者の人にとっては低熱です。このように、人によって「正しさの範囲や程度」は大きく異なります。

 

世の中には、検査結果に一喜一憂している人も少なくありません。しかしながら、検査結果というのは、あくまでも平均値をもとにして算出しているものなので、「唯一絶対の指標」ではないのです。「検査結果というのは、相対的な指標である」ということを忘れてはいけません。

 

これは医療の分野に限らず、あらゆる分野についても言えることですが、数字上の結果に振り回されることは非常に危険です。医療の分野の場合、数字上の検査結果よりも、目の前の患者の身体実感の方が遙かに重要です。

 

大事なのは、数字に人間の身体を合わせることではありません。人間の身体を良好な状態に保つように努めた結果、数字が良くなるというのが理想です。「数字というのは、追い求めるものではなく、付いてくるものである」ということを常に意識しておくことが大切です。

 

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現代は「死ぬことを考えない時代」

 

現代を一言であらわすとすれば、「死ぬことを考えない時代」です。死に関する事象のことごとくを日常空間から駆逐することによって、「生の世界」と「死の世界」を分離しようとする動きが近年ますます活発になっています。

 

死ぬことを考えない時代というと、「正常な時代」に思えるかもしれません。ですが、死ぬことを考えない時代というのは、極めて特殊な時代です。この時代の特殊性を意識しないで済むということ事態が、すでに正常ではありません。

 

死ぬことを考えないで済むようになった主要因は、科学技術の向上です。科学技術が向上したおかげで、生の世界と死の世界の間に様々な種類の衝立を設置することができるようになりました。その結果、死の世界から目を逸らしやすくなったというわけです。

 

ただ、死の世界からいくら目を逸らしても、死の世界そのものがなくなることはありません。誰の人生にも、死は必ず訪れます。死のことを考えないということは、「生の行く末」についても考えないということです。

 

人間の在り方というものを考えたとき、死について語らないわけにはいきません。死について語るということと、人生について語るということは同義です。「死について奔放に発言することができる土壌」を耕し続けることは、人生における大事な営為の1つであると言えます。

 

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