がん

延命に固執する危険性

 

がんに限らず、病気の治癒が見込めなくなった場合、治療の目的は治癒から延命に変わります。患者の中には、「治癒が見込めないのであれば、治療をしても意味がない」と考えている人もいますが、そんなことはありません。延命というのは、治療を行う上で重要な目的になり得ます。

 

そもそも「長生きしたい」という気持ちは、人間に本来的に備わっているものです。そのため、治療の目的が治癒から延命に変わったとしても、「長生きを目指す」という根本の目的は変わりません。

 

また、「どの程度長生きしたいか」は人によって大きく異なります。「ありとあらゆる治療を行って、一分一秒でも長生きしたい」という人もいれば、「ほどほどの治療を行って、無理のない範囲で長生きしたい」という人もいます。長生きへの執着度は千差万別です。

 

ただ、長生きへの執着度が高い人の場合、それなりのリスクを覚悟しておかなければなりません。医療技術が飛躍的に向上した現代においても、人の寿命を自由自在に延ばすことは不可能です。その不可能なことに「割って入る」わけですから、そこには相当な無理が生じることになります。

 

もちろん、延命を望むこと自体は悪いことではありません。ですが、延命に固執することは非常に危険です。患者の延命を望む人はたくさんいても、「延命さえできれば、患者がどのような状態になっても構わない」という人はほとんどいません。「延命の形態」を思い描くことは、「患者の人生の終末」を思い描くことなのです。

 

がん治療

「医療従事者側と患者側の意識のギャップ」が治療を妨げる

 

治療を妨げる要因は様々ありますが、その中の1つに「医療従事者側と患者側の意識のギャップ」があります。患者の中には、治療というものに対して「上意下達式で無条件に受け入れるもの」というイメージを抱いている人も少なくありませんが、それは全くの誤りです。治療は、医療従事者側と患者側の双方が歩み寄り、互いに協力し合うことによってはじめて成り立ちます。

 

日本人には、日和見主義というか、波風を立てようとしない傾向があります。そのため、たとえ不満を抱えていたとしても、「こんなことを言ったら、相手の機嫌を損ねるのではないか」と考えて、言いたいことをはっきりと言うことができません。良く言えば慎重であり、悪く言えば臆病なのです。性質というのは、見方や状況によって、長所にも短所にもなり得ます。

 

医療従事者側と患者側の意識のギャップが多少あったとしても、治療自体がうまくいっている場合はほとんど問題はありません(問題が表面化しにくい)。しかしながら、治療自体はうまくいっていても、その水面下では、患者側のフラストレーションは確実に増え続けています。休火山だと思っていたものが、ある日突然、活火山に変貌するというケースは少なくありません。

 

言わずもがなですが、火山が噴火してから対処するのでは遅すぎます。噴火したという時点で被害が出ている上に、その被害を最小限に食い止めようとすれば、相当のエネルギーが必要です。被害を最小限に食い止めるために用いられるエネルギーというのは「エネルギーの質」が良くないため、その効力を最大限に発揮することは難しいのです。

 

後退戦や消耗戦というのは、誰にも良い結果をもたらしません。医療行為に限らず、あらゆる行為において優先されるべきなのは、対処よりも予防です。予防に全精力を注ぐことが、最善の結果を得るための必須条件であると言えます。

 

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