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「死という明確な締め切り」があるからこそ生き続けることができる

 

一昔前と比べると大分減りましたが、現代においても、「長生きは美徳である」「長生きしてこその人生だ」という考えを持っている人は少なくありません。もちろん、長生きを肯定したり、長生きを目指すこと自体は自由です。ですが、長生きも良し悪しです。「短命の人生よりも、長生きの人生の方が素晴らしい」ということではありません。

 

随分前に亡くなった私の祖母の口癖は、「私は100歳まで生きる」というものでした。実際には、90歳になる前に亡くなったのですが、亡くなる直前まで、その口癖が鳴りを潜めることはありませんでした。

 

祖母が存命していた頃に、「なんで長生きしたいの?」と尋ねたことがあります。祖母は間髪入れずに、「長生きした方が良いからに決まっているじゃないか」と答えました。祖母の中には、「長生きは無条件で良いものである」という考え方が根強くあったようです。「長生きして、なにをするか」ではなく、「長生きすることそのもの」が重要だったのです。

 

もちろん、長生きに意義を感じることは、決して悪いことではありません。どんな事象に価値を見出すかは、人によって大きく異なります。ですが、人間というのは、「死という明確な締め切り」があるからこそ、なんとか生き続けることができるのではないでしょうか。

 

ただ闇雲に長生きを目指すよりも、「死という必然」を見つめながら、今日という一日を噛み締めるように生きる方が、「より人間らしい生き方」であるといえます。「厳然たる終焉」が設定されているからこそ、「一瞬の生」が輝きを持つのだと思います。

 

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遺伝子によって定められた寿命とどう向き合うか

 

人間に限らず、あらゆる生物の寿命は遺伝子によって定められています。この世に生を受けた瞬間に、「死へのカウントダウン」も始まります。一昔前と比べて医療技術が飛躍的に向上した現代においても、それぞれの人間に設定されている「だいたいの寿命」を大幅に延ばすことは不可能です。

 

寿命を大幅に延ばすことは不可能ですが、「健康寿命」をある程度延ばすことは可能です。健康寿命とは、介護などの人的なサポートを必要とせずに、自立した生活ができる生存期間のことをさします。個人差はありますが、平均寿命の約9割が健康寿命です。そのため、平均寿命と健康寿命の差を可能な限り縮めることが、より良く生きるためには重要になってきます。

 

「寿命のタイムリミット」が差し迫った患者の中には、延命治療などを受けて、少しでも寿命を延ばそうとする人も少なくありません。延命治療の医療費というのは、「命の延長料金」そのものです。延命治療を受けることによって、どれぐらいの延命効果が期待できて、その延命効果を得るためには、どれほどの医療費が必要になるのか、ということを十分に検討した上で、延命治療は行われなければなりません。

 

「定命」という言葉があるように、人間には「生きられる限界の年齢」というものがあります。年齢の限界を突破しようとする行為は「分を超える」ことに他なりません。人間は、それぞれに定められた枠組み(寿命)の中で、それぞれの生を全うするしかないのです。自分の寿命と向き合いながら、「死を甘受する姿勢」を身につける過程のことを「人生」と呼ぶのではないでしょうか。

 

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