がん

延命は「一時しのぎ」にすぎない

 

これはがん患者に限った話ではありませんが、患者の中には「延命第一主義」の人が少なくありません。延命第一主義とは、文字通り、延命を最優先事項に据えている人のことを指します。医療技術の向上が著しい昨今において、延命を重要視する人の数は増え続けています。

 

世の中には、「延命するのは良いことである」と考えている人がたくさんいます。確かに、延命にも良い部分はあります。ですが、良い部分だけではなく、悪い部分もあることを忘れてはいけません。良い部分だけに目を向けていては、物事の本質をつかむことは不可能です。

 

そもそも延命というのは、「一時しのぎ」にすぎません。ほとんどの場合、たとえ延命できたとしても、数ヶ月がせいぜいです。他のあらゆる医療行為と同様に、延命にも「明確な限界」があります。

 

「たとえ数ヶ月でも、延命できるのであれば延命するべきだ」という意見もあるかもしれません。ですが、そのような意見をもつ人の大半には、「延命した期間で何をするのか」という視点が欠けています。延命した期間に何もできないのであれば、延命した甲斐がありません。

 

人生の価値は、「どれぐらい長く生きたか」ではなく、「どれぐらい濃く生きたか」で決まります。長寿というのは、必ずしも良いことではありません。「長く生きさえすれば良い」という考え方は、人生を見据える目を確実にくもらせます。

 

延命というのは、オアシスのようなものです。オアシスにいつまでもとどまっている旅人はいません。「一時しのぎに甘んじないこと」は、人生における重要課題の1つであるといえます。

 

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与えられた生命をどのように使うか

 

人間に限らず、あらゆる生物には生命が与えられています。そのため、生きるということは、「与えられた生命をどのように使うか」ということと同義です。そして、生命をどのように使うかは、それぞれの生物の裁量に委ねられています。

 

世の中には、「1日でも長く生きたい」と願っている人も少なくありません。ですが、そのような人の大半には、「長生きしてなにがしたいのか」というビジョンが欠けています。生命を維持することを最優先事項に据えているため、その維持した生命を使ってなにをするのかが後回しになっているのです。

 

生命の使い方は千差万別ですが、あらゆる人に共通する要素として「自分がやりたいことをやるために生命を使う」ことが挙げられます。世の中広しと言えども、自分がやりたくないことをやるために生命を使いたいという人はほとんどいないでしょう。

 

やりたいことをやるというと、「我を通して好き勝手にやる」というイメージを抱きがちですが、そうではありません。人間というのは、社会的な生物です。したがって、人間がやりたいことをやるためには、社会のルールを逸脱しない範囲で行う必要があります。

 

「社会には細々としたルールがあるから、自分が本当にやりたいことをできない」という意見もあるかもしれません。ですが、社会的な枠組みという枷があるからこそ、生命の真価は発揮されるのです。社会的な枠組みを逸脱しないように生きることが、人間に課せられた重大な義務であると言えます。

 

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